いよいよあと二日。
先日セッションをして以来、
毎日のように、
実習の依頼が来るので、
スティーブの音源編集と
メルマガを含む自分の仕事、
そして実習のサポートと、
人生を満喫しまくってます。
「なんでそんなに『仕事』するの?」
こっちにきてから、
たくさんの人に聞かれます。
日本で聞かれる
「いつ寝てるんですか?」と
同じようなことかもしれませんが、
全然意味が違う。
仕事するのか?
は、前提に
「余暇」を取らないのか?
他の楽しみをしないのか?
ということが含まれます。
一方で、
「いつ寝る?」は
単に色々なことで多忙で、
寝てないんじゃないか?
健康的な睡眠時間が
取れてないんじゃないか
という前提があります。
多分、『仕事』の定義が違うんだと思う。
スティーブのワークを
サポートしてる時、
完全にセッションの
音声コントロールを
没頭してするのは、
大体4分の1くらい。
あとは、
スティーブの話に
触発されて、
iPadという移動図書館を訪問し、
偶然のセレンディピティを
楽しんでいるわけです。
音声の編集も、
仕事と見ればそうだし、
どの様にしたら
最小の時間でできるか…
という探求を繰り返してるんです。
メルマガも自分の思いを
どの様に伝えたら届くか
と同時に、
毎回、
「よし、今回はこういう流れで
テーマに繋げよう。」
とか、
「20分で書こう」
とか
より良い自分になる
探求を楽しんでいるわけです。
『より良い自分』
この探求の結果…
その一部が『ビジネス』になって
それを喜んでもらうことで、
お金を頂戴するわけです。
僕にとっては
目に入るもの、
耳に届くもの、
体に触れるもの、
全てが学びの種になる。
より良い自分になるための。
今日、誰かのブログかFacebookの投稿で
『ねばならぬ、べき思考は悪』
みたいなことが書かれててました。
仕事とはこうあらねばならぬ。
仕事以外の何かをすべき…
みたいな考え方は不健康だ。
というわけです。
健康的なのは、
仕事とはこうだったらいい
とか
仕事以外の何かをしたい!!
みたいな
願望なら良いのでしょうか?
僕はそう思わないんですよね。
「ねばならぬ」とか
「べき」
が悪いっていう人は、
かなり
精神的に未熟…
な気がします。
(気を悪くしたらごめんなさい笑)
もし、
健康にも、成長にも悪いなら、
とっくの昔に『禁止言語』として
リストアップされてますよ。
コーチがよくいう、
「なぜ」は使ったらだめ!
みたいなのと同じ。
これらは真実でもなければ
事実でもない。
べき、
がなければ正義は
生まれませんでした。
~ねばならぬ
がなければ、
常に時の権力者が
我々に押し付けてきた
「ねばならぬ」に拘束されたでしょう。
大切なことは、
その「ねばならぬ」、「べき」の
メッセージがどこからきたのか?
本当にあなたの中から
生まれたものなのか?
あなた以外の誰か
親や家族、家系を含む外からの権威
歴史や伝統…しきたり
そのメッセージが
どこからやってきたのか?
それを知ることこそ
大事なことなんです。
もしそれが
あなたの本質からの言葉でないなら
それはべき、ねばならぬ
だけでなく、
したい…できる…でも
同じ。
ねばならぬ。
が心の中から生まれたら、
それはその人にとっての
揺るぎない非常に強い原動力になる。
あなたが
~しなければならない。
そう感じたなら、
言葉を使った自分を罰したり、
言葉そのものを封印する前に、
そのメッセージは誰のものなのか?
を考えてください。
では!
『宇宙とつながる』
つながるべき
なのか
つながりたいのか
本当に強い天命を感じたなら、
僕たちは天の力を
借りるべきでしょうし、
自分の命をまっとうしてでも
その天命に突き進むべきです。
上っ面の『都市伝説』に
踊らされる前に、
あなたの内側にあるものに
繋がってみましょう。
きっと何かを教えてくれるはず…
追伸:写真のサボテンは、
昨年のシャツのお返しに
キング牧師の仕事を手伝ってた
パトリシアさんからいただきました。
持って帰れないけど…