『AIが自殺教唆した』ってニュースがあります。
Chat GPTでお馴染みの
Open AI社が訴えられたと言うニュース。
しかも一人ではなく、
複数人が訴えているそうです。
AIの倫理的な問題として注目されています。
と言うのも、今、
“sycophanticなAI”が問題視されていて…
Sycophanticとは、“追従的“とか
“おべっか使い”という訳になります。
ユーザーに対して、
共感的であろうとするが故に、
受け取る側の捉え方で、
共感的かおべっかか?が変わってくる。
これまでは、Google検索で自殺について
検索をしたからといって
自殺幇助で訴えられたりしなかったけど、
なぜかAIになったら訴えられ始めた。

検索する側、あるいは
問いかける側の問題じゃないの?
という視点もありますが、
それに対する答え方…
機械的に情報を提供する『検索』と
問いかけた側に
『共感する』ように設計されたAIとでは
受け取り側の反応が違う。
これって
AIの『擬人化』が深刻になってる。
褒めれても、
おだてられても、
所詮機械でしょ。
とは、ならない。
まるで、
人と話しているかのように、
そう思う。
人間の意識の進化の観点から見ると、
とても“呪術的“な観点。
昔、NLPをアメリカに学びに行った時、
僕たち日本人は、アメリカ人と比べて
『モノに魂が宿る』という
アミニズム信仰が強いというのを
強烈に体験した記憶がある。
「タカヒトは車に話しかけたりするの?」
そう笑いながら聞かれて、
真顔で
「もちろん」
と答えたら、ドン引きされた。笑
『バリューレベル』や
『スパイラルダイナミクス』
その後継の『ティール組織』にも
言及されている通り、
モノに魂が宿るという考え方は
アミニズム信仰
それは『パープル』という
初期型の価値観。
“ムラ思考“と揶揄される。
でも、僕たちには
その概念が文化的に宿ってる。
『儀式』のほとんどは、
アミニズムと言っても良いほど。
僕は当時乗ってた車も、
今乗っている車にも、
いい走りやな〜とか
ありがとう〜とか
洗車行けなくてごめんな〜とか。
あなたも声をかけますよね?
あれ…かけません?
あの頃の受講生(アメリカ人)は、
誰一人として車を
擬人化したりしてなかった。
「単なるモノ」
凹んでも、傷ついても、走れば良い。
僕は「車が可哀想」そんな思いが出る。
でも、あれから約20年経って、
今、Chat GPTを魂がある人間と思い始めてる。
ちょっとした“退行“が起きてますね。
今日は、
催眠整体HPMの第2期の対面指導でした。
催眠は怪しい!
ほんとにかかるの?
そんな疑問を持ちながらも
自分の整体の効果を上げるために集った
探究者たちに、
催眠を体験してもらった。
結果は…
『信じるものは上達する』です。笑
誘導を聞いているだけで
体の不調が取れる。
もはや当たり前になってます。
整体やってるみんなが
これを使いこなせる日常がやってくるように
僕も頑張らなきゃ。
そう思いました。
水曜日には
あなたの魅力をメソッドに変える
ワークショップのつくりかた
100名を超える
たくさんの人が来てくれてる。
楽しみにしててくださいね。
