言語学7Daysチャレンジ
1期生の徳重義雄さんをお招きして、
「傾聴より大事なこと」について
上級講師の木瀬さんとともに
対談を進めていきました。
何を話すか。
それを決めていないとき
その場に生まれる会話が
きっかけとなって
思わぬ方向に話が開く。
昨日もそれが生まれました。
それは徳重さんが語った、
施術家あるある。
「患者教育」っていう言葉。
これよく聞きます。
患者を教育できるほど、
偉いん?
素朴にそう思います。
言葉には意味があります。
その言葉を使うには
それなりに意味を自覚して
使っているわけです。
教育…
教えて、
育てる…
この発想で患者に接しているとき、
患者は無知で無力だ。
だから人間の体について
教育しなければならない。
そういう前提があると思うんです。
大の大人の患者に、
少なくとも体を痛める程度に
体を動かすことをする人間に、
無知で無力だと考える…
そういう前提で相手と関わるとき
どんな態度が滲み出るのでしょう。
よく僕が受ける相談に、
患者さんが本音を話さない
クライアントさんが
心を開いてくれない。
そんな話を聞きます。
そのときにお伝えするのが、
このマインドセットです。
教えようとしてないか?
もしそうなら、
相手に合わせて教え方を
どのように調整しているのか?
ミルトン・エリクソンは、
医者は専門家思考が強すぎる
と言ってました。
症状については専門でしょう。
でも、患者の人生について
患者以上に専門家の人って
いるのでしょうか?
患者は自分の専門家。
それに気づいてもらい、
専門家として意識的でない
人生の側面に光を当てる。
これが支援者の仕事。
そう思うわけです。
もし教育するのなら、
教育する側として、
教え方を学んでいるのか?
相手に合わせて
どのような教え方の
バリエーションがあるのか?
そんなことに意識的でありたい。
そう思います。
僕はダイレクトには教えない。
でも、その人の中にすである
重要なリソースに光を当てる。
そのために、
どんな形で気づいてもらうか。
そのためのやり方を
数多くの学びと実践を通して
たくさん持っています。
その多くは、
ザイク博士に教わりました。
もうすぐザイク博士の来日…
楽しみです!
では!