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どこ見て生きてるの? 

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約5分

現在こちらの午前3時
時差ボケが始まりました。

昨日はセドナから
フェニックスに戻ってきました。

日常から離れると、
自分を顧みる良い機会になりますね。

『こんなことに縛られてたんだ』って。

特に、セドナ
特別な思い入れのある場所。
JR西日本伊勢丹を退職する時、

もう恋なんてしない!…

みたいな決意

伊勢丹の時の僕は、
よくワークショップの冒頭で
お伝えしてるように、

褒めない

謝らない

頼まない

というコミュニケーションをしてました。

まぁそれも長い間
無自覚にしてきてたのですが…

それでも、現場にいれば、
自分の数値結果って

否が応でも見えるので、
結果が出ているうちは、

“自分さえ頑張れば結果が出る。”

そんなことに邁進するわけです。

でも、現場を離れて、
『経営企画室』っていう
エリート集団の中に入ると、

自分以外の誰かが成果を出す。

その“お手伝い”(支援)をするのか

彼らが誤魔化したり、
非効率な仕事をしないように
チェック(監視)するのか…

当時は、
褒め・謝る・頼む…という
行動レベルをしないのではなく、

自分と関わる相手を
どのように見てたか。

今とは真逆の視点に
立ってたことがわかります。

“人には可能性がある“

なんて言葉を誰かが言ってたなら、

即座に、

『可能性』は無限だけど、
それを実現するだけの
コミットができる人は、
極めて少ないんとちゃうか?

と僕に反論してたでしょうね。(笑)

自分自身って、
自分ではわからないわけです。

ましてや
変わるなんて…

だから、神様(僕じゃありません)が
お導きをするんですよね…きっと。

それが本当かどうか、

でも、その後

かぁちゃんの死とか、
会社の不祥事とか、

これまでにない環境に立たされた時に、
何となく、

「このままではダメだろうな」

そして

「変わらなきゃ!」

に移行するわけです。

まさに、
ジェームスプロチャスカ
TTM理論のとおりです。

考えることさえしない(前熟考期)

そうかも…と考え始める(熟考期)

これはヤバい、変わらなきゃ!(準備期)

になるわけです。

でも、

当時の僕には、

『どのようにしたら変わる』

なんてわからなかった。

2006年の初めの頃です。

人生を変えることになる
様々な自己変容のメソッドに出会う1年前。

1年先のことでさえ、
僕たちは見通すことができない。

『どうしたら良いか?』

僕はその答えを『転職』に求めた。

環境さえ変われば、何とかなると。

そして環境を変える
スタートに選んだのが

当時それほど知られてなかった

“セドナ“

2005年のアメリカの国内旅行で
行きたい場所No.1になった、

昔から知る人ぞ知る…が
この辺りでブレイクするわけです。

あの頃と、何が変わったんだろう

昨日はそれをセドナの環境に見た。

でも今日は、それを自分の中に見た。

これって他責自責の違いとも
いえますよね。

どこから見るか…

何に注目するか…

人の意識は面白いものです。

“自分のこと“として捉えた瞬間、

全ての見え方が変わる

そういう意味では、セドナって
僕が“精神性“に目覚めたきっかけだったかも。

そしてきっかけと言えば…
僕がカメラの世界に目覚めたのも
セドナから…

ほんのひと月前に発売された
民生用発の1000万画素超えの
ニコンD200を買って、

露出とかシャッタースピードとか
な~んにも知らないまま撮った一枚。

当時印刷して渡したら、

もらう人みんなが、
家に置くと空気が浄化された!とか

引き寄せが起きた!とか
そんなことを言ってくれてたっけ。

セドナっていう場所。

ボルテックスという

渦を巻くエネルギー

センチュリープラントとも呼ばれる
アオノリュウゼツラン
一説によると
100年に一度しか花を咲かせず、

花をつけた後は、
2週間ほどで朽ちるらしい…

そんな存在たちが
一つの絵の中に入ってる。

初心者にしては良い出来。

と思ってました。

でもこの写真、整理下手で
なんでもすぐに捨ててしまう癖のせいで

ずっと見つからずにいて、
たまたまですが

ロバートキーガン博士の来日
資料作成で過去資料を
探さなきゃならなくなり、

全ての資料は僕が持ってるので
探してて、今日
というかさっき見つけたんです。

偶然に。笑

ロバートの資料は
未だ見つかってないですが汗

今回、記憶にある
この写真の代わりになる
新しい写真を撮ろう!

と意気込んだのですが、
移動する荷物を
減らしに減らした結果

映像撮影用のカメラは
持ってきたものの、

万が一落としたり、
熱でダメになったら、

そう思って使うのをやめ、
iPhoneで撮ることに…

歩きながら…
18年前の記憶を頼りに、

リュウゼツランを幻視しながら

ここかな

いや、ここかも。

そんなことをしてるうちに、

自分で楽しめたらいいや。

そう思って撮った写真がこれ

見てびっくりなのだけど
ロケーションとしてはかなり近い!

そこにはリュウゼツランは
なかったけど、

代わりに
すんごいボルテックスの
エネルギーを感じさせる
ねじれた木が!

過去よりも、今にいる価値を
感じさせてくれました。

別の場所に、
真っ直ぐではなく
斜めに咲いていた
リュウゼツランを…
当時のオマージュとして。

あなたはどこを見て生きてますか?

では!

追伸:
7月のマンスリーウェビナーの
顔出し参加特典として
この写真プレゼント!とか
やってみようかな?

ご利益の程はわかりませんが。

この記事を書いた人

一般社団法人 変化と成長のコミュニケーション推進協会代表理事神 崇仁
言葉を通してあなたの存在感を
6.6倍にする【影響力の専門家】

クライアントに変化を生み出せず、
悩み苦しんでいるコーチ、コンサル、
セラピストなどの起業家に、
クライアントの『潜在意識』を覚醒させる
『伝え方』のスキルを教える活動をしている。
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