N P O法人を知っていますか?
創設から18年。
学ぶ機会を奪われた子供たちに
教育の機会を提供する
N P O法人です。
僕は恥ずかしながら
今日、eテレで見るまで
知りませんでした。
すごいなぁ。
そういう社会的な弱者を
思いやるだけでなく、
それを社会的事業として
運営するなんて。
早速毎月
寄付することにしました。
まだ、どうやって
アクセスしたら良いか
わからないけど、
将来的には、僕の講座にも
そういう支援のプログラムを
取り入れられたらいいな。
そう思ってます。
その素晴らしい取り組みに
なんら異議はなく、
大賛成なのですが、
今日、支援者の1人と、
高校生の会話が
すごく気になったんです。
学びたい気持ちがある、
でもその機会が奪われている高校生。
その彼にパソコンが届きました。
『カタリバ』から。
そしてすごいのは、
カタリバはモノを
あげるだけではないんです。
『コーチ』がつく。
画面に映った顔つきからすると、
大学生くらい。
ボランティアなんだろうか?
すごい意識が高い青年ですよね?
でも、ちょっと気になったんです。
その彼と高校生が話してた会話が。
これが僕にとっては
『危険』に感じられたのでした。
もちろん、
コーチとしての彼は、
完全に善意でしょう。
そして一生懸命でした。
好感が持てる人です。
でも、その一生懸命さと
伝わる会話ができるかは、
本質的に別物です。
そしてこれは
あなたに『巻き込み言葉』と
そうでないものについて
知ってもらうための題材です。
学びのためのパソコンを繋いだら、
そこでコーチがこんなことを
話しました。
『最近はどう?
週末は何をやってるの?』
『ゲームかな?』
『そう。 ところで将来
どうなりたい?』
『うーん、なんだろ。
わかんないや?』
僕はそこで見たんです。
高校生の彼の心に
何かがイメージされたことを。
でも、それを口にするのを
はばかったことを。
つまり、
僕の目では、
彼は何かをイメージしたけど、
口にするのをやめた。
そして、残念だったのは、
コーチの彼が、こう続けたことです。
「そうだよね、 難しいよね。」
難しいんじゃない。
どんな空想でも、夢想でも
おかしなことでさえも、
口にできるような
『場』がなかった。
オンライン越しの会話では、
とかく見逃されがちな
『場』の大切さを改めて
思い知りました。
そしてキツかったのは、
この後でした。
コーチの彼が、
「どんなことでもいいから、
目標を持った方がいいよ。
これだけは『誰にも負けない』
という何か。」
耳を疑いました。
『誰にも負けない』何か…
これってつまり、
自分の能力を他の誰かと
比較するってこと。
能力は他者と優劣がある。
この言葉の前提に含まれた
『他者との競争』という考えは、
彼を常に誰かとの目を
気にさせるようになるかも
しれません。
でもコーチには、
そんな意図はなかったはず。
あの高校生のこれからを、
誰かと比較させ続けるように
仕向ける。
そんな意図はなかったでしょう。
でも、
質問やアドバイス、
そこには非常に
強い暗示効果があります。
しかも、
送られたばかりのP C。
相手に対しての感謝が
起きている状態。
つまりコーチに対して
『全面的な受け入れ』が生じやすい
『返報性』の状態が起きている。
だからこそ、
危険な会話となり得るんです。
もしコーチが、彼の未来にとって
建設的な伝え方をする
『意図』を持っていたなら。
こうアドバイスしたでしょう。
『確かに『どうなりたい』
という重要なことを
突然聞かれて、
それを言葉にすることに
時間がかかることは、
不思議なことではないよね。』
『そして、これから学びを
進めていく上で、
僕が重要だと思うことを
伝えさせてもらうと、
それは『学ぶ目的』なんだ。』
『目的を決めて
学び続けることで、
自分にとって、
本当に興味を持てること、
もっと深く学びたいことが
見えてくるんだ、
あくまで僕の経験だけど。』
こんなふうにコーチが
『意図』を持って伝えたら
彼はカタリバから、
学びの機材と機会を
提供されただけでなく、
人生そのものにも建設的な影響を
持てたと思います。
支援者にとって『雑談』とは
非常にリスクの高いもの。
なぜなら、『意図』がないから。
『意図』を持って言葉を使うと、
それが他者にとって
ある方向に向けた影響力を持つ
『巻き込み言葉』になるんです。
では!