さて、今日はある人を事例に、
脳幹言語のパターンについて
話したいと思います。
今日、まもなく第5期の
プロモーションが始まる、
施術家の言語学、
4期の参加者さんから、
「神さん、面白い記事がありますよ。」
と言ってurlをもらいました。
それはある治療院コンサルの人が書いた
ブログへのurlでした。
そこに書かれていたのは…
「面白い記事」…ではなく
面白い表現でした。
「反応率〇%のテンプレをプレゼント」に
飛びついてしまうのは、悪徳コンサルに
「だまされやすい何も知らない無知」と
手をあげているようなもの」
思わず…苦笑いしてしまいました。
『僕は悪徳なんや…、
会ったことないのに…』笑
というのも、
もちろん、僕のことを念頭に
書いたのではないと思います。
僕がコンサルと名乗ってないのが
唯一の確信なのですが…
これを書いた人は、
誠実にそう思っていらっしゃるのでしょう。
それが『脳幹言語』が
勝手にそう思わせている…とも知らずに。
人は、脳幹言語をもとに、
情報の取捨選択、
そしてそれに対する
対応の仕方を決めます。
りんごとみかんがあったら、
あたかも
『みかん』しか、ないように反応し、
手に取った『みかん』を吟味して、
『食べる』?『投げる』、『捨てる』、
『あげる』…などの対応を決めるのです。
目の前には『りんご』も
存在するにもかかわらず…
僕たちの脳幹言語は
数多くの情報を
あるパターンに基づいて
自動的に取捨選択するのです。
そしてその選択したものに
さまざまな意味をつけます。
「このみかんは不味い」
「だから捨てよう」という具合に。
そしてここで今日話題に上っている、
『情報把握の脳幹言語』が活躍します。
1回や2回の経験をもとに、
ざっくりと単純に今後現れる
全ての情報の意味を決める。
「今日のみかんは不味い」
だから「全てのみかんは不味い」
と言ったように。
そして単純化された結論を
ただただ『強化』するためだけに
自分に都合の良い情報だけを
網にすくって、納得するのです。
だからどんな情報も、
それがりんごであっても、
『美味しいみかん』の存在を
明らかにする情報であっても、
その情報はその人のアンテナには
引っかかることはありません。
だからこの人は、
その記事に書いたことこそが
唯一無二の『正しい』真実と
信じているのだと思います。
この文章を読む限り、
この人の『脳幹言語』の作りは
非常にざっくりしています。
テンプレ=悪徳コンサル
テンプレを欲しがる人=無知
シンプルに結論を出します。
経験に基づいた
ヒューリスティックな判断を
素早くできる。
大胆な決断を行うことができます。
加えて一見、「おおらか」とも取れる
言動から、ある一定の人たちからは
信奉されるカリスマタイプとも言えます。
時流に乗っているとき、
時代の見通しが
はっきりしているとき、
上潮の時…
このタイプの成功パターンは
非常にうまくいきます。
即断即決、即行動。
周りをキーワードと感情で
巻き込み、その気させてゆきます。
だから、
『一見』万事が
成功者のように見える。
ただし、『一見』です。
敵、味方という二元論に陥りがちで
経験の当てはまらない分野にまで
自分の経験を持ち込んで、
判断するという傾向があります。
特に時代が変わるとき、
先行きが見えないとき、
不安定な世情…
そんな時は、
この経験に基づく即断即決は
うまくいかない。
これまでのやり方を変えるには、
あまりにも情報把握が
『ざっくり』しすぎるから。
時代が変わるとともに
消えていった有名人、
著名なコンサル
名経営者…
すべてこの情報把握の
脳幹言語に気づかなかった。
自動的なスイッチが
入ったままになっていることに
気づかなかった。
木を見て森を見ず。
という考え方が
通用するときと
森だけを見ていると、
木の腐食、虫食いに
気づくころには、
森は全滅している。
というわけです。
残念なことに、僕たちは
気付くことなく、
『森』を見る…
あるいは『木』を見る…
そのどちらかに偏っています。
その偏りは『個性』です。
その人の人生を
ユニークなものにします。
でも、
偏りに気づかないままでいると、
時代の変化に適応できなくなる。
今この時代こそ
自分が持つ脳幹言語の特徴に気づき、
それの偏りを楽しみながらも、
柔軟に立場を変えられる。
森だけでなく、木も楽しめる。
木ばかり見ることなく、
時に森を愛でることもできる。
普段生きていると
気付くことのないスイッチを
切り替える。
それをできるようになるのが
『脳幹言語』
入口となるのが
4/14ワンコインウェビナーです。
どうぞお楽しみに。
日曜日で申し込み終了します。
では!
追伸:
そうそう、件の記事を見て、
あらら…と思ったのは、
「反応率〇%のテンプレをプレゼント」に
飛びついてしまうのは、悪徳コンサルに
「だまされやすい何も知らない無知」と
手をあげているようなもの」
そのブログの最後に書かれていたこと
「過去に胡散臭いコンサルに騙されたり、
胡散臭いセミナーに行って
嫌な思いをしたことがある
かもしれませんが、
そういう悪徳業者ばかりではない…」
と自分のことをうたっていましたが、
この文章と、先の文章をつなげると
この人の真意が見えてきます。
実は、あなたは過去に
悪徳業者に騙されたでしょう。
何故ならあなたが無知だからです。
だから教えてあげますよ。
と言っています。
人は結果の出ない選択を
することはあっても無知ではない。
無知ではなく、その時に、
どのような『意図』で選択をしたのか、
です。
『無知につけ込む』という姿勢が、
この人が言う悪徳業者と自分が
同じだと言うことに、
気づいていない。
悪徳コンサルは、自分のことを
『悪徳』と言わない。
いつも正義をかざしてやってくる。
僕自身も戒めになりました。