昨日は移動の疲れが取れず、
眠くて、眠くて…
ある人が言った言葉、
『精神が成長するにつれて
体は衰えていく。』
我が社のラパ社員は、若さ全開で
疲れることを知りません。
そして好奇心にあふれている。
すごいですよね、命って。
さて、一昨日のメルマガ、
タイトルは『多様性という名の魔女狩り』
読んでくださった方から
たくさんのコメントをもらいました。
驚くことに、
批判的なご意見はありませんでした。
珍しくメルマガの解除もなし。
これが賛同を受けている、と
両手をあげて喜ぶわけではありませんが、
やっぱりあの一件は
スッキリしない。
あのティール組織のアイデアの
ルーツとなったのは、
ケン・ウィルバーだと
言われていますが、
ウィルバーという人は
いわばセレクトショップ。
好みのアイデアや研究を
取り入れて新しいブランドを
作るのが得意です。
あの天才的な医学研究者である
カール・プリブラムは、1985年の
浅田彰氏との対談で、
「ウィルバーはただ、
おしゃべりをしてるだけ、
良いことも言う時もあるが、
こうと決めたら動くことがない。
ところが我々の仕事は常にテストを
繰り返していくものなのです。」
と辛辣に述べています。
セレクトショップのレベルにも
到達しない僕たちが言うと、
説得力がありませんが、
どの世界にも『批判』がある。
それを受けながら
自分の生を全うするのは
意味のあることですね。
話を元に戻すと、
ティールの元になったのは、
ドン・ベックとクリス・コウワンの
『スパイラル・ダイナミクス』。
ひいては、
その師匠のクレア・グレイブスです。
彼らの理論から、
ここ最近の動きを見ると、
世代間の考え方の対立
平成マインド 対 令和マインド
なんていう表面的なものではなく、
SNSという強烈な
破壊的兵器を持ったブルー(一般大衆)が、
一部の権威と権力に溺れたオレンジ
(資本主義における成功者)を
グリーンの理想(より高次の理想)
に基づき断罪する。
そんなところでしょうか。
ブルー?オレンジ?イエロー?
何それ?と思う方も
いらっしゃるんじゃないかと。
グレイブスによると、
人間の意識は、
自己主張と自己犠牲の
振り子のように成長する。
まるで螺旋階段のように、
自己主張の時期があれば
自己犠牲の時期がある。
またそれを経て自己主張に向かう。
そう言ってます。
それを受け継いだドンベックは、
それを数字で表す代わりに
色で表しました。
『優劣がつかないように』
ベージュ(サバイバル)自己主張
パープル(家父長制)自己犠牲
レッド(力による支配)自己主張
ブルー(正義によるコントロール)自己犠牲
オレンジ(資本家による蓄財)自己主張
グリーン(理想による共同体)自己犠牲
人類の長い歴史を見ると
こんな流れになっていると。
グレイブスも、ベックも、
そしてティールの提唱者も、
これより上の成長があると。
イエロー、ターコイズ、コーラル…
まぁ、グレイブスは
すでに亡くなっており
この理論の提唱者の誰一人として
SNSという
瞬間的情報伝達メディアが
生まれるとは想像もしなかった。
ナレッジの共有や、
同じ思考や方向性を
持った人たちがこんなに簡単に
声を合わせられるとは
思ってもいなかった。
そして何より、
『体験して成長する』のではなく、
『共有された情報により、
わかった気になる』
何かを批判するときだけ
自己主張をする…
しかもその結末を想像せず。
本人にとっては大声ではない
でも、共鳴しやすい大衆が
SNSを通じて何百万人もそこにいる。
ロシアの侵略が想像を超えて
困難になっているのも
吉野家の役員がバッシングされて
犯罪を犯したわけではないのに、
全てを奪われる。
そして話題は消費され、
次のターゲットが…
モラルに反したか、
法に反したか、
単なるメタファーを
下品に表現しただけでも、
全てを無くし、
その後のキャリアも消えて無くなる。
まるでお祭りのように
次々とステージに上がる人は
断頭台のつゆと消え、
人々は忘れ去る。
でも全てを奪われた人は
確実にそこに残る。
ティール組織に
感化を受けた人なら
わかるかもしれませんが、
これって数百年昔に西欧で
起きていたことと変わらない。
時代を遡って
1960年代の文化大革命
みたいなんですよね。
普段、相手が期待しているかどうか
わからない話、たとえば政治や
主義主張の話をメルマガでは
やめておこう。
と決めていたのですが、
なんだか言葉にしておかないと。
そう思っています。
今年は
大きな価値観の変革が
起きそうですね。
僕も舌禍には気をつけることにします。
では!
追伸:もうすぐザイク博士の
戦略的コミュニケーションの
メルマガ募集を始めます。
お楽しみに!