やっと行けました。
『印象派』
イマーシブ・ミュージアム
めちゃくちゃ面白かった。
単にオリジナルの絵画を
手元に取り寄せて、
オリジナルを間近に見る。
という経験ではなく、
印象派というコンセプト
=考えを参加者として経験する。
そんな大胆な企画です。
これを教えてもらってからひと月。
忙しくてなかなか
見に行けなかったのですが、
仕事がひと段落(してませんが)
区切りがついた今日、
チームと共に行ってきました。
印象派って、
元々、批判的な評論家がつけた名前。
これまで写実的な絵画が
常識だった時代に、
人間が行う
「あるがまま」の捉え方は
写実的ではない。
外界ではなく、
脳内の映像を表現した、
これまでにない、
異色の絵画表現だった。
だから批判も多かった。
「あの表現は、
なんだかフワッとした印象しかない。」
「本当の絵画とは、
あんなものじゃない。」
発表当初はそんな批判が
渦巻いたそうです。
「これって、
一部の取り巻きが良い良いって
言ってるだけでしょ。」
写真が発明され、
徐々に『写実』の価値が
薄れ始めた時代においてなお、
古い常識、
自分の凝り固まった考え方に
囚われていることに
気づかない人たちが、
『評論家』として
非難を浴びせたのです。
もちろん、
その批評家の名前は、
誰も思い出せません。
というか興味がないのです。
でも、
多くの人が、
モネやその絵『睡蓮』の名前くらいは
知っているでしょう。
これまでの考えを
超えた先にある
本質的なものにフォーカスする。
それが印象派の偉業でもあります。
対象を正確に描写するという
これまでのやり方ではなく、
光の移ろいを描く
という新しい方法。
批判とは、
新しく生まれ出るものに対する
過去となっていくものの抗い。
そう言えるのです。
エリクソンのやり方は
すごくたくさんの
批判にさらされた。
当時の技法と真逆だったから。
診断をしない…
その点において
洞察を重視する
精神分析家たちから。
傾聴しない…
その点において、
人間性心理学の分野から
これはエリクソンだからできる。
そういう批判もありました。
つまり、
自分の分野を正当化して、
成果を属人化する。
こういうやり方は、
批判の典型的なパターンですが、
エリクソンは、
それに迎合することは
ありませんでした。
なぜなら、
エリクソンは、
彼らがどれだけ
真似したくてもできない
極めて重要な方法を
持っていたからです。
それは、クライアントの
使ったものならどんなものでも
『利用する』という考え方。
そしてそれを具体的な方法に
落とし込んで使っていたこと。
これは派手なやり方ではありません。
カリスマのように、
自分のやり方を押し付けて、
一瞬変わったように見える。
即効性があるように見える
ショー催眠のようなものではない。
実際、即効性がある、
と世の中で信じられているものは、
長期にわたって、
効果が持続するものではないようです。
催眠ショーが、
瞬間催眠を作る代わりに、
会場を後にする頃には、
すっかり忘れているのと同じ。
でも、エリクソンは、
相手の世界観に入ることで、
その世界の中から、
穏やかに変化を引き起こしたのです。
このやり方を、
ユーティライゼーション
と言います。
この存在を知らないと、
派手な変化だけを追い求めて、
クライアントに無理強いをする。
話を聞いてくれない。
そういう評判が
立つことになります。
ユーティライゼーションを
自由自在に活用できると、
一見、端から見ると、
派手ではなく、
何も起こってないように見える。
でも、相手の内側では
じわじわ変化が起きる。
そして一度起きた変化は、
人から与えられたものでなく、
自分で生み出したものであるので
変化が永続する。
そういう効果があります。
今日の印象派の体験ミュージアム。
最新技術を使って、
僕たちが絵の中に
没入できるような仕掛けが。
何かすごいアトラクションに乗った!
ではなく
じわじわ僕たちの体験を広げてくれる。
美しい印象派の絵の中に、
僕たち自身が参加する。
忘れ去られる評論家や
批評家ではなく、
うつろう光の目撃者として。
さて、
もしあなたが支援者で、
ユーティライゼーションに
興味があるのでしたら、
朗報です。
今日、
実はザイク博士から、
メールが来ました。
11月の講座の中で、
ユーティライゼーションを扱うと。
スライドが来てました。
世界最高のエリクソン研究家の
ユーティライゼーションを
来日講座として学べる大チャンスです!!
すごいこと。
では