お正月のワークショップ
ディズニーストラテジーの
募集が終了します。
今日は一日、
明日行うトランスコーチの
セミナー準備。
メタファーを使った変容です。
長い間メタファーは
修辞法の一種と捉えられ、
「ちょっと気の利いたこと」を
いうための方法くらいに
考えられていました。
古代ギリシャでは、
修辞法=レトリックが
政治などのスピーチに使われ
レトリックを使って
大衆扇動が起きたりしました。
その後メタファーは
文学に使われること以外は
人々には縁遠く、
近代になって
理性の時代になって
論理学の立場などから、
批判的に捉えられることが多くなり、
人間の表現として『特殊』なもの
そう捉えられてきました。
縁遠いものとされてきました。
でも、20世紀の後半、
人間の脳の仕組みが
明らかになるにつれて、
メタファーというのは、
どうやら人間の認知の基本にある。
人間の考えは
メタファーによって決まる。
人間はメタファーで世界を理解する。
そんなことがわかってきたのです。
例えば、
“お上“という表現ありますよね?
上層部って言葉。
成績が上がる…
売り上げが上がる…
“上“=偉い、良い。
逆に、
下々の人々。
政党が下野する
坂道を転がり落ちる。
転落する…
利益が下がる。
試験に落ちる…
下=地位が低い、悪い
そういう理解ですよね。
誰も疑わない。
実際、売上は
高さには関係ありません。
実際に人間関係が
視覚的に上下するわけではない。
でも、
立場は上、と下に分かれる。
これら全てはメタファーです。
この考え方を提唱したのが、
ジョージ・レイコフという言語学者です。
レイコフはさまざまなものには
抽象概念を理解するために、
メタファーがある。
メタファーの操作=動きこそ
抽象概念の理解に不可欠だと
述べています。
だから、
全ての抽象概念には、
メタファーに関する前提がある。
そして、メタファーとは
動きがある。
そう考えました。
上に上がったり、
下に下がったりする動き。
メタファーは“体験“なのです。
例えば会話…
人と人が話すことですが、
これには“ゲーム”という
前提がありますね。
会話を“楽しむ”
会話の“キャッチボール”です。
一方で、議論はどうかというと…
議論は戦争という前提があります。
論陣を張る。
相手を論破する。
議論に打ち勝つ。
メタファーとは
人間の経験の基盤なんです。
だから
メタファーが動くと
人の経験も動く。
メタファーが変わると、
人の心も変わるんです。
このことに気づいていたのは
芸術家だけでした。
言語学者の
ローマン・ヤコブソンは
絵画、文学、映画の中には
認知の方法としてメタファーがある。
そう指摘しています。
メタファーを心理療法に
取り入れたのは、
ミルトン・エリクソンです。
もちろん、
交流分析のバーンも
家族療法のサティアも、
フリーチャイルドや
パーツなどの概念を
問題行動などに
当てはめていた点で
メタファーと言えますが、
エリクソンほど
直接的に使っていませんでした。
エリクソンは
二重の意味を持つ
メタファーを使って
催眠を深めることをしました。
例えば、
クライアントを催眠に誘導して、
何かに習熟することを話します。
例えば、
ダンスが上手くなる…
踊りの腕が上がる…
そう聴くと、
クライアントの意識は、
踊りが上達することだと
理解できますが、
同時に聞いている無意識は、
『腕が上がる』ことを
上達することに翻訳することなく、
文字通り、
自分の腕を上げようとします。
あなたはそれを
『手軽に』することができる
それは簡単にする
という意味ですが、
無意識には『手が軽くなる』と
文字通りに届きます。
無意識優位の状態である催眠では、
直接的に文字通りの体験が
その人の体に起こるのです。
そして現代においては
さまざまな心理療法で
メタファーを変容に活用しています。
僕も自分のメソッドに
メタファーを使って変化を作る
プロトコルを作り出しました。
あなたは
どんなメタファーが
あなたの中にあると知っていますか?