今日はオフ。
ビジネスパートナーの
荒井さんが主催する、
勉強会に参加してきました。
講師は村主 悠真さん。
一般財団法人 日本寄付財団
という組織の代表理事をして、
寄付を通じて『世界平和』を作る。
そんな活動をしている人です。
19歳で起業、次々と事業を成功させ、
それらを売却し、投資家となる。
40歳くらいなんですが、
もっと若く見える。
起業、バイアウト(売却)、そして投資
成功に成功を重ねて、
簡単にいうと、
『兆』のつくお金持ちになった。
(ネットで調べたらそう出てました。)
今現在は、投資の傍ら、
自ら、そして仲間を集い
世界中に寄付をしている…
戦争、飢餓、教育の不在…
世界中で起こっている『不正』
様々な格差…
そういったものをなくすための
活動についてのスピーチでした。
スケールが違いすぎる。
でも、そんな村主さんも、
いつも批判されるそうです。
『世界平和』をうたって、
日本には目もくれないのか!
って言われるそうです。
苦笑しながら、
「昨年1年間で、
日本に2億寄付のに、
まだ足りない!って言われる」笑
そういってました。
(ちなみに世界には10億だったそうです)
それがめちゃくちゃ面白い!
抽象度の高い話題なんですが、
実際の現場で見聞きしたこと、
体験をもとにした語りで、
『臨場感』を持って伝えます。
そして興味深いのは、
抽象度が高い…ってことは、
ある聴き方をすると、
僕の中で
全然違う意味や体験を
結びつけることになる。
だから、どんどんアイデアが出る。
僕は違う分野の人の話を聞く時、
最初から理解することを諦めています。
ただ、その人の話し方を聞いて、
『確信』や『信念の強さ』を
聴きながら、
ただそれを音声として耳に入れます。
わからない言葉があっても、
気にせずただ流し込みます。
確信のある人の言葉…
それは主語が『自分』なんです。
私、俺、僕、あたい、わし、わがはい…
なんだって良いのですが、
自分なんです。
一方で、正論なんだけど
人を不快にさせる表現もあります。
今日もいました。
質問者の中で、
「今、みなさん〇〇のことで、
悩まれてたりするんですけど…」
キター!!!
この表現をすると、
途端に説得力がなくなります。
もちろん、
当の本人は気づいてない。
経験上僕は、
この表現をする人は
自分のチームには絶対に入れない。
なぜかというと、
最後の最後に、
「知らんけど…」になる可能性がある。
どういうことか?
『私・自分』を主語にする人に比べて
『みなさん』を主語にするんです。
不思議なことに、
誰も頼んでないのに、
みなさんの代表になる。
否、
別の言い方をすると、
自分はたくさんの代表だ。
という含意を「根拠なく」
提示して自分の意見を
押し通そうとするんです。
自分の意見ではなく、
みんなの意見だ!という表現。
みんなという言葉を借りて、
『同調性』という影響力を
動かそうとするんです。
でも、この表現から明らかなように、
そこにはその人の
「本気の想い」が見えてこない。
多数の「顔」が見えない「みんな」
というのは受け入れられないんです。
かたや、
『自分』の想いを
言葉にするのは覚悟がいりますよね。
すごいな、って思ったのは、
寄付して、
助ける相手先を決めたら
現地を見に行くそうなんです。
そして、
現地を見ると…
そこには
助けを受けられて喜ぶ子供達と
すぐ隣には、
助けを受けられず、
貧困に喘ぎ続ける子供達がいる。
『限られた原資で
支援をすることは、
誰を助けて、誰を諦めるかを
決断することだ。』
そんな言葉を聞いた時、
「応援しなきゃ!」
と心が揺さぶられるんです。
彼の周りで、無邪気に笑っている
現地の子供達の写真を見て、
彼らの代表として、
自分の想いを語る人に、
何かを『切る』という
決断の覚悟の凄みを感じました。
違う世界の人は、
僕の小ささを思い出させてくれます。
より大きな世界の住人は、
僕につながりの価値を見せてくれます。
より古いつながりを持つ人は、
僕に『本質』の大切さを教えてくれます。
今日から、
エリクソンの伝統を受け継ぐレガシー
エリクソン譲りのセッション。
エリクソンが大切にした、
情報提供ではない
実感する体験の喚起。
生のセッションを通して学ぶ。
ジェフ先生が日本人に対して行う
セッションを見て、
セッションの後のディスカッション、
質疑応答を通して体験的に学ぶ。
まさにレジェンドの学び方です。
2024年2月
2回の週末。
土日の朝8時から10時までの
2時間。
計4回のセッションを通して
エリクソンの本質を手に入れてください。
ザイク博士の
セッションの解剖学
募集を開始します。
(一般での募集はしておりません)
では!