最近、
ホワイトハウスでの高市総理の振る舞いが、
物議を醸していますね。
会談は成功だったから
良いじゃないか、
と言う声もあれば、
あのよっしゃーポーズが
大人気ない…
気持ち悪い…
一国の総理として不適格…
なんて辛辣な声も聞こえてきます。
フランスに至っては、
彼女の行動を『Gomasuri』(ゴマスリ)という
日本語をわざわざ転用して、
揶揄しているそうです。
僕は総理大臣の品格とかよりも、
日本の国会の時の『コワモテ』な顔と
トランプ大統領の前での
『ぶりっ』とした顔のギャップにビビってます。
落差が激しすぎ。
でも、これらは全部、
『評価のラベル』。
評価する人が、
『何を基準に』、『誰を基準』に
そう言っているのか…
そこに興味があります。
評価には3つのポイント、
振る舞い、文脈、関係性が決めると言います。
あなたはどう思いますか?
また、ミルトンエリクソンなら。
どういうかな?と考えたりもします。
あれは『首脳会談』という
特別な場(文脈)であり、
総理大臣と大統領という、
特異な関係性の中で起きたこと。
成果がどうとかではなく、
あの時、
批評される振る舞いが起きるような
『場』があり、
それが許される
『関係性』があった…
それをどう評価するのか…は
人それぞれで、
その人の絶対的な価値ではない…
僕はそう思います。
誰かの行動を、
その人『だけ』に帰属させることには、
大きな危うさがあります。
実はこれ、
僕たち対人支援の現場でも、
しょっちゅう起きていることなんです。
セッションにおいて、
よく使われるクライアントのラベル。
『慢性』
『抵抗』…
これらはいつも、
クライアントに当てはめられる言葉です。
(確かに…)
でも、
実際はそうではないんです。
心理療法家のイヴォンヌ・ドランは、
こう言っています。
「慢性」とは、実際には、
クライエントを効果的に治療することに
長期的に失敗してきた、
治療共同体についてのコメントです。
「抵抗的」とは、
治療関係に関するコメントであり、
セラピストがクライエントを受け入れ、
意思疎通を図り、
信頼を獲得することに
どの程度成功してこなかったかという
治療連合の現時点での結果であると
言います。
つまり、
「抵抗」しているのはクライアントではなく、
私たちが、
相手を受け入れる関係性を
築けていなかった結果に過ぎない。
そう言うのです。
では、
僕たちはどうすればいいのか?
天才心理療法家の
ミルトン・エリクソンは、
こんな言葉を残しています。
「心理療法について、ほとんどのセラピストは基本的な考慮事項を見落としている。
人間は移動能力だけでなく認知と感情によって特徴づけられる。精神病的なものであれ文化的なものであれ、同じ考えを持つ人間は二人としていない。人が自分の知的観念をどう守り、どれほどそれに感情的になるかを理解すれば、心理療法で最初にすべきことは、その人に観念を変えることを強制しようとすることではなく、それに寄り添い、徐々に変化させ、その人自身が進んで思考を変える状況をつくることである。」
相手の観念を強制的に変えようとするから、
『抵抗』という名の摩擦が起きる。
そうではなく、
まずは相手に寄り添い、
その人自身が進んで思考を変える
『状況』をつくること。
その視点において、
あの高市総理という人は、
一体どんな意図があったのか?
あの行動はたまたまではなく、
習慣化された行動であるということ。
外から見れば『ゴマスリ』という
ラベルを貼られる行動でも、
彼女の中では、
目の前の相手との関係性を築こうとする
彼女なりの習慣化された
アプローチだったのかもしれない。
僕たちはついつい、
自分の基準で相手にラベルを貼り、
自分を変えずに、
相手を変えようとしてしまいます。
でも、
本当に大切なのは、
相手を自分の枠に当てはめて
評価することではありません。
まずは、
あなたの目の前にいるその人を、
その人の観念ごと、
大切に扱うこと。
そして、
相手が自然と変わりたくなるような
温かな『関係性』と『場』を、
あなたから作っていくこと。
評価のラベルを剥がしたとき、
初めて見える
コミュニケーションの本当の姿が、
そこにあるはずです。
では!
追伸
僕は何よりあのよっしゃーポーズを
ギャラリーの1番上に持ってきた
ホワイトハウスの担当者の意図を知りたいね。