僕はざわざわした環境の中で
集中するのが好きなんです。
もちろん、言葉が聞こえてきたら
それに対して反応してしまう。
同時に、全くわからない言語だと
余計にそれ以外の情報に注意が…
視覚情報など注意が向いてしまう。
だから、
僕は集中する時は、英語を聴く。
さまざまな英語の動画を
流しながら自分の仕事をします。
最近は、流し英語のコンテンツを、
Amazon Primeで
『シカゴP D』という
アメリカのテレビドラマにしています。
シカゴって、
治安はめちゃくちゃ悪い
今でも普通にハイウェイ
シューティング、
高速道路で走りながら、
隣の関係のない車を狙撃する。
そんなことが日常で
行われていると言います。
今から50年前もそうでした。
連邦政府はベトナム戦争の
泥沼にあり、
各都市は、財政難から
社会政策にお金をかけられない。
特に削られたのが、教育でした。
まともなリソースを与えられず、
学校は荒れ、教師は疲弊し、
子供たちは学校を嫌う…
そんな悪循環の中、
教師たちの最も避けたいこと
それは、ゲットーでの勤務。
(貧困層が集まるエリア)
危険であると同時に、
教師としての真の意味での
『報酬』に欠ける場所だから。
子供たちは学びに懐疑的であり、
家に戻っても、ドラックと暴力に
囲まれた、とても宿題などが
できる環境になく、
卒業したら『ギャング』となって
若死するか、刑務所に入る。
子供たちに、知的探究心を
持ってもらい、立派な大人に
なってほしい、そう思って
教師になった人にとって、
そんな場所で教えることに
生きがいなんて、
見出せないですよね?
だからほとんどの先生は、
「こいつらに何を教えても無駄だよ」
「どうせギャングになる奴に
学ぶ気なんてあるわけがない。」
そう言って、『教える』ことを
半ば放棄して日々を
暮らしていたんです。
子供は子供で、
「こんな小難しいもの、
なんの役に立たないよ。」
「なんのために算数を学ぶんだ?」
「俺たちは歴史なんかより、
今日のパンが大事なんだ。」
そんな考えを持ち、
自分たちをバカにして、
未来を諦めている教師たちを憎み、
およそ『学校』とは
いえない状況にありました。
1971年のある日、
ゲットーの小学校に
新人の教師が
赴任してきました。
あなたもきっと、
思い出すことができますよね?
何かを初めてやる日。
最初で最後の初心の日です。
緊張と期待。
何かを成し遂げたい、
という想い…
そんな思いを胸に登校した彼女に、
厳しい現実が立ちはだかります。
学校を嫌い学ぶ気のない子供。
当然学力は低い。
一方で、教える気、
子供をサポートする気のない教師。
「我々の仕事は、こういうもの。」
そういう固定観念の中で、
彼女は教師としてのキャリアを
スタートさせるわけです。
彼女は諦めることもできた。
現行の体制に同調し、
子供の未来を諦めることだって
自分の未来を安定的にする
役に立ったはず。
でも、
彼女はそうしなかった。
むしろ、燃えた。
「子供達がどうやったら
楽しく学習できるか?」
それを真剣に考え、
どのように教えたら
子供の学習に役立つか、
それを調べ始めた。
すると、奇妙なことに
気づいたんです。
それは…
図書館に行って、
教育関係の書棚に行った時、
見つけられるのは、
『教え方』…
効果的な指導の方法について
研究したものは、
たくさんある。
でも…
子供が
『どのような』プロセスで
学びを深め、
それが自分の身につくか。
つまり「子供の学び方」
について研究されたものは
ほとんどなかった。
そして一方で、
人間の心理的発達を
『研究』するもの、
何歳くらいで
『何』に興味を持つか?
子供が発達するとき、
『何が起きるか?』
そんな研究が、
心理学と言われる分野で
行われていたことを知ります。
彼女は心理学の分野を
探求し始めます。
ジャン・ピアジェ、
そして子供の知的発達の
プロセスを学び直します。
全ては、子供が
『どのように』学ぶのか、を求めて。
ウィリアム・ジェイムズに出会い、
プラグマティズムにおける
同僚とも言える、
ジョン・デューイが、
心理学の研究から派生した、
『経験学習』という概念を
体系化していることを知ります。
そしてさらに
研究を進めるうち、
彼女は、2つの理論に出会います。
今日のところはここまでにします。
また明日に続きます。
今週末には、
『奇跡が起きる伝え方』の
ウェビナーの申し込みを開始します。
では!