「そのパスタ、いらない。
もう捨てて」
その声が聞こえて、ギョッとしました。
先日行ったレストランでの出来事。
できたばかりの美しいしつらえの店内。
磨かれた調理場が見える
オープンキッチン。
カトラリー(ナイフ&フォークなど)
器も超一流。
そこは、
某有名シェフの2軒目のレストラン。
そのキッチンから聞こえてきた
ありえない言葉。
僕はカウンターに座りながら
食べているお皿から、
思わず顔を上げて、
周りを見回してしまいました。
「はい…」
そう言って、
アシスタントの女性が、
茹で上がったパスタをゴミ箱へ。
さらに
シェフの行動はエスカレート。
もう一人のマネージャーらしき
男性にも、
「〇〇、~だよ。~。
ほんとに何聞いてるの?
ちゃんとやって!…ください。」
命令口調で、厳しい声のトーンで、
最後だけは丁寧語でしたが…
感動的な味覚と嗅覚とは
明らかに不一致な
視覚と聴覚からの情報…
料理は驚くほど美味しいのに、
食事の空気は、
残念なくらい『陰鬱』で
張り詰めた空気が…
確かに、基本的なミスを
連発する男性スタッフ、
天才との呼び声高いシェフの
サポートには、役不足に思える
受身的なアシスタント。
天才シェフのもどかしさが
伝わってきます。
「いったい
どんなインスピレーションが
この料理を生み出すんだろう。」
最初の数品は、
感動しかありませんでしたが、
後半に進むにつれ、
味よりも空気にがっかりしていく。
そんな体験をしました。
まさに、
僕たちが提唱している言語学の
カスタマーエクスペリエンス問題
味だけじゃない、
食事の経験…
それを台無しにする
シェフのありえない振る舞い。
パワハラと非難する人も
いるかもしれません。
でも僕はそのシェフに対して
モラルを問うつもりはありません。
なぜなら
シェフが僕に見せた2時間が
彼の真実を表しているか、
それに至る背景や、
文脈を理解していないので、
なんとも言えないからです。
でも僕は単に、
そういう振る舞いを楽しい、
そして価値のある時間に
見聞きしたくはなかった。
だから嫌な気持ちになった。
もっと残念だったのは、
シェフの応答は、
チームの内部に対してだけでなく
僕に対しても…
料理の説明も、
一通りしてくれるのですが、
「聞こえない…」
まるで自分に言い聞かせているような説明
そうか、彼の美意識は、
お客さんに対してではなく、
自分に対してなんだな、
閑静な住宅街の一角にあるお店。
シェフは100mほど先の
角を曲がるまで、
寒空の中、見送ってくれましたが、
とても美しい姿でしたが、
店内での対応を思うと、
これも自分への美意識なんだろうな。
そう推測して納得しました。
料理は本当に美味しかった。
でも、次は行かないな、
それだけです。
ふとこんな時、
ミルトン・エリクソンならどうするか?
エリクソンは、
この人は「変わらないな」
そう思ったら、
迷うことなく、治療を断っていました。
明確に。
会う前の対応…
手紙や電話…
これで即、判断していたそうです。
これがエリクソンのあり方。
エリクソンの研究を50年続けている
ジェフリー・ザイク博士は、
エリクソンのスタイルを
エリクソンダイヤモンドと称して、
脱構築していますが、
「ベルベットの手袋に鋼鉄の拳を隠している」
エリクソンの「ありよう」を
そう表現しています。
その「ありよう」があっての、
関わり方、伝える方法、見立て方、
変化のプロセスの作り方がある。
「ありよう」…
この体験は、
食事の素晴らしさをこえる、
ありようの大切さ。
それを思い返す機会となりました。
お客さんは、提供者を選ぶことができる。
そしてそれと同時に、
提供者もお客さんを選ぶことができます。
僕がありがたいと思うことは、
あのシェフのような側面が僕にもあること。
だから思うようにいかないとき、
恥ずかしながら、
ついそんな表情を表に出してしまうことも、
僕にはあります。
でもその時に、
心ある参加者さん…
長く応援している参加者が
こっそりメッセージを送ってくれます。
「今、大変そうですね。」と。
それが気持ちを切り替えさせてくれる。
かのシェフには、
そんな体験がないのかもしれませんね。
僕はそういう参加者と
仕事ができることを幸せに思います。
自分の振る舞いを律して、
価値あるものを提供していきたい。
改めてそう思いました。
いよいよ来週頭から、
4月に開講するジェフリー・ザイク博士の
エヴォカティブ・コミュニケーション
申し込み開始です。
ジェフ先生のありようは、
支援者なら、絶対に経験すべきです。
あの言葉の使い方。
体験的なワークショップの組み立て。
僕自身、
博士と出会ってから、
ワークショップも、セッションも
組み立て方の次元が変わりました。
楽しみにしててくださいね!