つい先ほど、
ネットのニュースを見て、
衝撃を受けました。
三宅一生さん亡くなる。
この写真のジャケットは
イッセイさんの2015秋冬のもの。
撮影時2022年でも
リフォームしながら
愛用しています。
2020の秋…
イッセイさんのメンズラインが
終了すると発表されました。
体型が変わり始めた
40代中盤から、
「やっと着れる」
ようになったお洋服の一つでした。
若い頃は、
Y‘S(ヨウジ・ヤマモト)
コムデ・ギャルソン
そしてその一段大人なのが
イッセイミヤケメン…
そんな印象でした。
実際、一生さんは73年に
パリ・コレクションにデビュー。
カワクボさんやヨウジさんよりも
8年も前のこと。
ちょうど日本人が
キラキラではなく、
ギラギラして、
貪欲に世界に向けて
自分を表現してた時代。
世界の流行の本家本元で
迎合したファッションを
表現するのではなく、
『日本人』として
自らのスタイルを
堂々と表現していた
そのリアルタイムを
僕は知りませんが、
今から30年ほど昔、
ファッションの世界で
バイヤーをしていた時、
彼らのアシスタントだった
デザイナーさんたち、
パタンナーさんたちと
あるいは営業さんだった人たちと
たくさん交流して、
飲んで、
語って…
色々教えてもらった。
そんな時に、
彼らがずっと熱く語ってたことが
『西洋に迎合しない』
自分の表現。
先輩にできるのだから、
俺たち、私たちにだって。
そんなことを
日がな語っていたことを
ふと思い出しました。
「夢を語る」
実現する
可能性があるかどうか
そこを
判断するのではなく、
実現を可能にするために
いったい僕たちは
何ができるだろうか?
と考えることが
未来につながる。
一生さんは、
当時あり得なかった
デザイナーとしての人生を
開くために選択したことは
パリの学校に行くこと。
そして仕事を得ることでした。
そしてさらに、
ニューヨークにわたり、
自分を磨くために学びました。
『当たり前』をしていたら、
人生は変わらない。
誰もしていなことを選ぶ。
その選択が人生を開いたのだと。
誰もしていないことを表現する。
とても怖いことです。
特に挑む相手が
これまでの常識だとするなら。
時に変わり者、非常識と揶揄される。
あるいは『陰謀説』として
片付けられる。
あるいはなかったことにされる。
でも、
自分が正しい、
伝える価値がある。
そう思った時には
『表現する』という選択がある。
80年代当時、
女性らしさが大流行だった
世界のファッションに、
貧乏ルックとして
ギャルソン、ヨウジが
旋風を巻き起こしたように。
もちろん、
上手くいかないこともある。
でも、もし一生さんが、
パリに行く選択を躊躇してたら。
プリーツという形態を
より良く表現できる
『ポリエステル』という
当時は安物素材とされた素材を、
「安物を使ってる」
そんな評判を恐れて
使うことをやめていたら。
500万枚もの
プリーツ・プリーズは
世に出回らず、
機能的で美しい形状を
表現するファッションは
永遠に日の目を見なかった。
『表現する』
一生さんは83歳で
天寿を全うされました。
僕は55歳
あと28年しかない。
そう思ったら、
関係のない第三者からの批判や
自分のお客さんに
心変わりして、
背を向けられることを
恐れる代わりに、
自分の表現を世界に見せる。
そのことに価値を感じます。
さよならイッセイさん
肉体は朽ちても、
創造性がこの世に残る。
そう教えてくれた気がします。
いよいよ明日。
僕のチャレンジが始まります。
『トランス・コーチング』
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スタートです。
では!