『コーチング4.0』レター 第1話

コーチングはいつから心を扱わなくなったのか


最近、言われたんです。

「先生のやってるのってセラピーですよね」

「いえいえ、コーチングです」

と答えたものの、
受講生と押し問答しても
しょうがないのですが。

「僕が学んできたコーチングというのは、
ゴールに対してどう進めるかであって、

クライアントが
どんなことに
傷ついてきたかというようなことは、
本来触っちゃ
いけないんですよ」と、

大胆にも僕に
間違いを指摘してくれる
人がいました。笑

勉強しに来てくれている
人の中に、たまに
「先生、『なぜ』などは
コーチングで使っちゃダメです」
と言われたり、

「痛みにフォーカスをしては
いけないんです」
といったことを
おっしゃる方がいます。

僕は、人が一つの
行きたいと思う方向に
進むのであれば、

極端な話、
僕の、あるいは
自分の所属している
業界や団体のつまらないルールに
従う必要はまったくないんじゃないかな

と思っています。

ただ、より大きな視点で
見たときに

「それはやるべきではない」
という領域があります。

例えば難病だったり、
精神性の診断をされた
状態に対してアプローチをして
良くしていくようなことです。

うつ病などを
専門家に代わって扱う
ということは、
僕はしません。

それは自分がやっていること、
そして自分のところに
学びに来てくれている人たちへの
僕の「筋」だと
思っているんですね。

そういったことで
叱責や批判を受けるようなことが
あったときに、

僕から学んでいる人たちにも
同じような批判が及ぶのは
避けたいからです。

なので、僕はセラピーという
ことはやりません。

セラピーというのは
心の傷を扱うことを
主目的にしているので、

そこには当然、
心理療法以外の選択肢も
あるわけです。

例えば催眠や
心理支援以外の選択肢を
僕が持っていないのであれば、
やるべきではないと
思っています。

たとえそれを
クライアントが喜んで
受けるとしても、

その周りにいる人たちから
「難病につけ込んでいる」
「苦しい気持ちにつけ込んでいる」
と斜めから見られ、

揶揄されるような環境は
作りたくないと
思っています。

ただでさえ名前が『神』ですから、
「神先生から学んでいる」
というだけで、
スピリチュアルだ、
宗教だと言われやすい
立場にいますからね。笑

そもそもコーチングというものが
どこから始まったのか、

なぜコーチングは
感情を扱わなくなったのか。

こうした背景は
あまり知られていませんが、

コーチングの原点は、
実は「心を扱うこと」から
スタートしたのです。

冒頭お話しした僕が今
「コーチング 4.0」という
枠組みの原点にあたる
「コーチング 1.0」の時代は、

まさにここまで、
誰も触れようとしなかった『心』を
扱うものとして現れたのです。

皮肉なことに、
最初に心を扱った人物は、
心理療法家でも既存のコーチでもなく、
テニスのインストラクターでした。

「テニスのインストラクターが
なぜ心なのか?」
と思われるかもしれません。

しかし、彼は真剣に考えました。

テニスというと、
肘を下げろ、脇を締めろ、
ボールの行き先をよく見ろといった、
具体的な技術の細かな修正の
積み重ねによって上達させるものだと、
スポーツインストラクターであれば
誰もが考えます。

しかし、彼は知っていました。

技術はあるのに
本番で力を発揮できない、
プレッシャーに
押しつぶされてしまう、
練習ではすごく上手いのに
結果が出せない。

これは一体何なのだろうか、と。

これは技術の問題ではなく、
心の問題なのです。

そのため、
彼のところでトレーニングを
受ける人は、
まず心に注目するように
教えられました。

具体的には、
自分の内部対話(内なる呟き)を鎮め、
今この場にフォーカスするという
心の状態を作ることで、
劇的に成果が変わることを
実証したのです。

心理療法家や
カウンセラーではなく、
スポーツインストラクターが
そこに気づきました。

彼はこの素晴らしい手法を
多くの人に広めようと、
テニスのインストラクター仲間へ
伝えたものの、

目の敵にされてしまい
誰も相手にしてくれませんでした。

そして、これに興味を持って
実践しようとしたのは、
全く別の領域の人たちだったのです。

神 崇仁(こう たかひと)/このページはメールでお届けした文章です。