『コーチング4.0』レター 第2話

感情はある意味邪魔 〜コーチングの皮肉な選択


こんばんは、神 崇仁です。
明日から『コーチング4.0』の
トークライブウェビナーを
不定期に開催します。

今日は結構な数の動画を撮りました。

現在進行中の長期講座
カウンセラーの言語学の準備の中でも、

100日チャレンジという
強制力の働く場があると違いますね。

しかも主催者が、
面識のない4人で
1つのグループを作っているので、

僕がやらないことで
皆勤賞がもらえない
みたいなことがあると
本当に申し訳ないなと思って、

僕にしては珍しく頑張っています。

昨日、
「コーチングのスタートは実は心からだ」と言いました。

ひょっとしたら、

最近コーチングを始めた人は
「心を扱うのは
自然じゃないの?」って
思うかもしれませんが、

コーチングのスタートは
そもそも、
完全に心や感情というものを
切り離して始まりました。

今日はそのお話をします。

僕はそれを
「コーチング 2.0」と
呼んでいます。

コーチングと言われるものが
実際の日常生活に入ってきた、

ビジネスや自己啓発、
自己成長、
セルフヘルプという部分に
おいて入ってきたのが、

だいたい1990年から
2000年代の初頭ぐらいに
なります。

この時、コーチングには
そもそも心理療法、
特に長期間時間がかかる
セラピーに対しての
アンチテーゼという側面が
ありました。

同時にお客さんの側からすると、
例えば
「セラピーを受けている」
「カウンセリングを受けている」
と言うことは、

すなわち
「自分はタフじゃない」
「心が弱い」

といった評価を
誰かから下される恐れがありました。

『企業戦士』という死語を
覚えている人も多いと思いますが、

まさ、タフでマッチョを求められる
ビジネスマンたちは

「そんなものはいらない」
と言っていたわけです。

でも実際は

✔️成果へのプレッシャー

✔️間違いだらけの優先順位付

✔️身につかない習慣化

さらには、
出世競争、職場での人間関係、
ライフステージによる迷子…など

多くのことで心の中が忙しく
精神的にもボロボロだし、

自分1人で何かを処理するのは
精一杯。

そんな中で、
コーチングというのは
本当に都合が良かったのです。

感情に触れずに、
なすべきゴールに従って
行動を選択し進めていく。

だからクライアントは、
「健康で健全で、
結果を出すために
バリバリやっている
スポーツのアスリートたち」
とのイメージが重なり

「コーチを雇ってる」というのは、

ある種ステイタスでもあったわけです。

コーチの側もビジネスや企業、
エグゼクティブの世界に
入っていくときに、

「コーチ」というラベルを
持って入っていくと、
使い古された「トレーナー」や

深い部分を話させられる
「カウンセラー」との違い。

新しいタイプの職種、
最新の肩書として自らを演出できた。

こうしてお互い相思相愛となり、
コーチングが爆発的に
広がったわけです。

でもそもそもは、
スポーツ選手の
パフォーマンスを左右するものが心、

特に「内部対話」
(心のざわつき)であると
発見したティモシー・ガルウェイは、
心を静めるという方法を
取り入れました。

それがコーチング 1.0だったわけですが、

それをビジネスに
持ち込もうとした際には
いくつかの難点がありました。

いわゆる業界の線引き、
クライアントのニーズ、
そして展開していく際の
再現性という問題です。

これらに共通して言えるのは、
感情に触れることになると
個別要素が極めて高くなる
という点です。

感情が関わると
セッションの解消までの時間が長くなり、
再現するためには
関わる側にそれぞれ
高い技量が必要になります。

つまり、時間がかかる、
個別度が高くなる、
そして再現性が下がるために
提供側のクオリティも
ばらついてしまう。

そうした事情に加え、
既存の資格を持った
心理療法家たちによる
業界の既得権のラインも
ありました。

こうした背景から、
コーチングはごく自然な流れとして
「感情を扱う必要はない、
それらは心の専門家に任せるべきだ」
という判断に至ったわけです。

コーチングが広がって、
僕たちの手元に
届くようになった。

その中には
さまざまな合理的で
客観的な判断があり、

その時々にコーチングに関わり、
これを浸透させるのに
携わった人たちが
さまざまな意思決定をする中で、

「感情というものは扱わない」と
コーチング 2.0 への
進化の過程で
決めたわけです。

そして、これがとても
興味深い続編を生むことになります。

続きはまた。

神 崇仁(こう たかひと)/このページはメールでお届けした文章です。