『コーチング4.0』レター 第32話
うちはワンちゃんのために
ささみを茹でて、
食事の半分をささみにしてるんですけど、
これまではただ
茹でていただけでした。
「火が通ればいいや」と
思ってやってたんですが、
もっと美味しい方法があるのかなと
ネットで調べたら、とんでもない。
ささみの火の通し方と
湯通しの仕方って、
全然別だったんですね。
びっくりしました。
セッションをするときに
多くの人が誤解してしまうのが、
「相手の話を聞かなきゃいけない」
「クライアントの話を
聞かなきゃいけない」
と強く思いすぎることなんです。
クライアントの話を聞くのって
何のためなのかと考えると、
2つのことが言えると思います。
1. クライアント自身が自分の考えを
言語化するのをサポートし、
自己理解を深めてもらうこと
2. クライアントが話してくれた情報を
もとに、こちらが有益な情報を
提供すること
この2つに尽きると思うんですよね。
コーチングの世界では、
自分が話したことを
自分で聞くことによって
新たな気づきが得られる、
という説があります。
オートクラインと
呼ばれているものです。
実は、「ただ聞く」だけでは
このどちらにも役に立たないんです。
そう聞いたら、
皆さんはどう思われるでしょうか?
昨日のメルマガでも書いたのですが…
https://takahitoko.com/letters/31-mimi/
そもそも
「こちらが聞いている」
「聞いてくれている」と、
話す側は何を見て
判断するのでしょうか。
ただ黙っていることなのでしょうか。
例えば、あなたがただ黙って、
クライアントの目を
じっくり見ていたとしても、
時折ちらっと時計に目がいった瞬間に、
相手は途端に
話す気がなくなるでしょう。
なぜなら、その仕草が
コミュニケーションのメッセージとして
届いてしまうからです。
ほとんどの人は
「聞いている」という態度を
表すことが上手ではありません。
聞くというのは、
例えばしっかり相手の目を見て
聞くということだけでは
ないですし、
それすら
間違えていることもあります。
また、「聞いている」ことを
示そうとして
「うん、うん」と相槌や頷きを連発し、
前のめりになっている姿勢を
アピールする。
こんな対応は、
特に深刻な話のときには
一番やってはいけないこと
だったりします。
では、仮に深刻な話だったとしても、
どうすれば相手に
「聞いてくれている」と
伝わるのでしょうか。
それは、意味のある動きや
「聞いている」ことを伝える
一貫性のある動き、
そして「話を言語的に
理解しているな」と相手に伝わる
こちらからのフィードバックです。
これらがあって初めて、
相手に伝わるわけです。
一貫性のない態度で聞いていると、
どれだけ長い時間
聞いていたとしても、
相手には不快感しか
残らないんです。
僕のセミナーを受けた人が
「聞く」ということの
本質的なところに触れた時に、
口々に言うのは
こんなことでした。
「態度はすごく聞いてくれているのに、
『要はこういうことですね』と
すぐに話をまとめられて返される」
「最後の部分は『大変ですね』と
言ってくれるものの、
その表現と非言語の不一致。
なんか流されてるな、
次に行きたいんだなと
感じてしまうような言い回しを
受けてしまう」
そんな経験を数多くしています。
こういう態度を取られると、
「あ、この人は私の話を
聞いていないな」と
感じてしまいます。
時間が経てば経つほど
違和感から始まって、
最後には苛立ちや不快感、
相手への嫌悪感にまで
発展してしまう。
あなたに心当たりはないでしょうか?
話を聞くという目的に
立ち戻ったときに、
オートクラインという
馬鹿げた話があります。
昔、僕もすごく信じていました。
「コーチというのは
話してもらうことなんだ。
そうすればオートクラインが起きる」
という説です。
これを言い始めた人が誰か
僕は分からないけど、
極めて生物学的にも
メタファーとしても
「無知な考え方だ」と思うんです。
オートクラインというのは、
放出されたものをすべて受け取って、
選択したりしないんです。
「これが好き、これは嫌い」といった
選別はしない。
だけど、自分で自分の話を聞くときは、
自分が強調したいことや
話したいことを
意識的にも無意識的にも選択して
受け取り、自己強化をする。
なので、これらが同じものだと
言い切るのは無知なんです。
でも、それが
広まっちゃったんですよね。
なんとなくアカデミックな響きが
するものを取り入れることによって、
それをあたかも真実だと思って
信じちゃう傾向が
僕たちにはあるんですね。
そもそもコーチングにおいて、
自分が話したことを自分で聞くことに
よって新たな気づきが得られる
なんてことはないわけです。
認知的には、それはもともと
自分が分かっていることを
さらに詳細に強化することに
過ぎません。
いわゆるエコーチェンバーのようなもので、
自分で言って自分で強化する
ということです。
つまりオートクラインは、
ただ聞くだけでは
起きないんです。
ただ聞くだけでは、
自己強化、エコーチェンバーが
起きるだけ。
ではどうするのか。
クライアントの人に
聞く以外の形で
もっと話してもらうということが
重要になるわけです。
新たな気づきを起こそうと思った時には、
外側にいる何か、もしくは誰かが
触媒という形でクライアントに
違う視点での捉え方をいざなう、
つまり枠組みを変えていく関わり、
あるいは枠組みを脱していく関わりを
しなければ、
本来的には起きないわけです。
それは質問であり、
伝え返しであると言えます。
一般的に言われている「聞く」という
部分とは違うところで、
変化というのは起きるということです。
では、実際に変化が
全く起きないのかと言われると、
そんなことはありません。
もちろん聞くだけで
じっくりと長い時間をかけて、
自分の言ったことを反芻し、
日にちを空けて再び自分で
モノローグのように話し続け、
それを自分で振り返って
客観的になるという時間を
繰り返していくことによって、
変化は可能になります。
しかし、このスタイルというのは
コーチングではありません。
そして何より、
人が自分のことをより多く話したり、
自分の深いところに入っていくような
発見をするために
話を続けていくには、
1. 聞き手が最低限、安全であること
2. 信頼できること
3. 相手が創造的であるという
期待があること
これらがあって初めて、
人は話そうと思えるわけです。
世間で言われている心理的安全性
というのは、
一番下の基本にすぎません。
それ以上に
「相手が創造的であること」が
重要です。
安全でただいい人というだけでは、
「話しても無駄だ」と
思われてしまうこともあります。
でも、「この人に話したら
何かが生まれる」という
クリエイティブな期待があると、
話はまったく別の次元に
なります。
つまり、どのように態度として
聞くかということ。
量や「聞く」という行為そのもの
ではなく、
どのような表現を相手に伝えるか
ということこそ、
クライアントがより多く、
そして実のある話をするための
極めて重要なポイントに
なるわけです。
その一つの条件として、
僕たち聞き手側が一貫性を持って
伝え返すというのが重要だという話を、
明日からしていこうと思います。
そうそう、ささみの話。
僕が知ったのは、
火を通す(湯通し)というのは
「ぐつぐつ沸騰した中に
ささみの肉を入れる」
ということ。
これも一つの
火を通す方法なんだけれども、
これでは味が激落ちして、
栄養分もダメになってしまう
らしいんです。
じゃあどうするのか。
専門家の正しいレシピを
ちゃんと調べたら、
そこにはこうありました。
「火を止めて、
沸騰させたお湯
(煮立っていないお湯)の中に入れて、
徐々に冷ましていく流れで
火を通していく」
ささみの一つひとつの
大きさにもよりますが、
ぐつぐつ煮るのではなく、
沸騰させた後にささみを入れて、
ただ寝かせるということだったんです。
実際それをやったら、
出来上がった後に
手で触れただけで
全然食感が違いました。
自分の頭の中で
「そうだろう」と
思っていることではなく、
ちゃんとしたルーツや法則、
レシピ、やり方というものを探して
実践し、結果を見るというのも
時には大事ですよね。
では。
神 崇仁(こう たかひと)/このページはメールでお届けした文章です。