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『謝罪の流儀』
https://abfll.biz/brd/archives/lwfiho.html?s=277&u=379
効果的な謝罪の仕方について
40分ほどの動画にまとめました。
堀くん曰く…
「有料級に学びになりますね!
ここのところ、
よく謝ってくれると思ったら
これを実践してたんですね?」
数冊の謝罪について研究した本を
読んだ時に思ったんです。
イエスセットのない謝罪は、
全く共感されず、
むしろ謝ってないと思われる。
そして謝罪には、
いくつかのパターンがあると
分かりました。
それは、
完全に非を認めている場合と
納得がいかないけど、
謝罪が必要な場合や、
全く悪いと思っていないが、
「形式的」にでも
謝罪しなければならない。
という場面に追い込まれることがある。
そして、
このどれに該当するかにかかわらず、
『謝罪してない』と受け取られて
非難される表現がある。
そういう光景を誰しも一度は
見たことがあるでしょうし、
こう思うのです。
「どうせ謝るなら、潔く、謝れば良いのに」
そうなんです。
まさに正論。
しかも、当人たちは、意識的には
『謝っている』と感じているのです。
でも、当人の無意識の表現、
非言語、言葉の選択、
ちょっとした表現から
聞き手は「謝れられていない」と
感じてしまうのです。
それは何か?
『大切にされていない』という感じ。
私を大切に思う代わりに、
自己保身に走り、
謝ったふりをしていると
感じさせたら終わりなのです。
そして数冊の書籍が揃って
「素晴らしい謝罪」と言われた
オーストラリアの首相の謝罪。
ケビン・ラッド首相が、
オーストラリアの先住民に対して
過去の政府のやり方を謝罪したもの…
関係ない僕でも心を打たれます。
それはなぜか?
「大切にされている」と感じるから。
誠意です。
そしてその誠意を感じさせる言葉が
相手の気持ちを代弁した表現を
いくつもおり重ねて、
その上で謝罪の言葉を述べる。
つまり
イエスセットをして謝罪する。
過去の振る舞いなので、
相手が使った言葉そのものではない。
でも、
明らかに相手の立場、
この場合、先住民側の心情にたった
言葉を選び、それを重ねた上で、
このことを代表として詫びる。
それを何度も行います。
もしあなたがイエスセットを
確実に行うことができると、
困難に思える状況においても、
それを対立を避け、
建設的な感情で前に進む。
それを実現することができる。
イエスセットの力です。
ぜひあなたもこの力を手に入れて
素晴らしい
共感的コミュニケーターの道を
踏み出してみませんか?
では!